2013年11月

2013年11月12日

川瀬健一編『植民地 台湾で上映された映画 1899(明治32)年~1945 (昭和20)年』増補改訂版

川瀬健一編
『植民地 『台湾で上映された映画 1899(明治32)年~1945 (昭和20)年』改訂版
川瀬健一編『植民地 台湾で上映された映画 1935 (昭和10)年~1945 (昭和20)年』増補改訂版
 
先に出版した
日本が台湾を統治していた約50年間に台湾で上映された映画の目録約1万7000本を収録。資料として当時台湾で発行された新聞・雑誌から映画広告、チラシ、新聞の映画紹介記事など430枚余りを掲載。台湾での上映日時、監督・出演者・台湾での上映館及び上映場所などを明記すると同時に、日本での封切り日なども備考に載せている。
 
『植民地 台湾で上映された映画 1899(明治32)年~1934(昭和9)年』
『植民地 台湾で上映された映画 1935 (昭和10)年~1945 (昭和20)年』
 



toyo2012sa at 11:36|Permalink書籍の紹介 

李香蘭 台湾では上映されなかった映画『サヨンの鐘』 ④

李香蘭 台湾では上映されなかった映画『サヨンの鐘』 ④
 
日本と台湾での映画封切り比較
 
 大世界館では1943年の12月には、『山の娘サヨン』のほか、田坂具隆監督の『海軍』〈松竹〉、稲垣浩監督の『無法松の一生』〈大映〉などが上映されている。
『海軍』の日本封切りは1943年12月なので、『サヨンの鐘』より六ヶ月ほど後に封切りされたにもかかわらず、『海軍』は1943年12月と日本と同時に台北で上映されたことがわかる。
 また、阪東妻三郎主演の『無法松の一生』は日本封切り1943年10月なので、約一ヶ月半遅れて台北上映となっている。
 このことから考えて、『サヨンの鐘』が『山の娘サヨン』と改名され日本より約六ヶ月も遅れて上映されたのは、何か大きな問題があったとしか考えられない。
 ちなみに『サヨンの鐘』と同じように台湾総督府が後援した荒井良平監督の『南方発展史海の豪族〈日活〉』は、1942年10月に日本と台湾で同時に封切られている。同じく台湾総督府が後援したマキノ真三監督の『皇民高砂族〈春秋映画社〉』は台湾の方が早く1943年8月封切られ、日本は半年ほど遅れて1944年3月封切りである
このようなことから、筆者は『サヨンの鐘』について台湾総督府は、どのように対応すべきかに苦慮していた。台湾総督府共同作品、台湾総督府後援というのをどのようにするか、あるいは上映を中止するかを討議・決定するために日本上映から約五ヶ月もかかったのではないかと推測している。
 


toyo2012sa at 00:27|Permalink台湾 俳優・監督 

2013年11月01日

中山地下街 眷村涼麺

中山地下街 眷村涼麺
 
イメージ 1
 
 中山地下街は何時も通るところだが、歩いていて目にとまったのが眷村涼麺、「一日40食限定、本日売り切れ」という看板だ。
 眷村というのは、戦後に中国大陸からやってきた人々(外省人と呼ばれる)が集団で住みついた所をいう。
 暑い日々が続いていたので、「一日40食限定、本日売り切れ」という眷村涼麺、どんな物か食べてみたいとチャンスをねらっていた。
 一ヶ月滞在中に、何とか時間が取れたのでイサンデ食べに行った。
 涼麺というからには冷たくひやした麺が出てくるのだろうと思いこんでいたが、全く冷えていないいわゆる常温の麺にゴマだれとラー油がかけられていた。
 これが眷村の味かと思いながら、辛い涼麺を冷たい紅茶で辛さをやわらげ食べた。
 
イメージ 2
 


toyo2012sa at 00:28|Permalinkレストラン 

中華路 西本願寺修復 輪番所

中華路 西本願寺修復 輪番所
 
イメージ 2
輪番所説明
イメージ 1


toyo2012sa at 00:03|Permalink台湾