2020年03月

2020年03月25日

新型肺炎蔓延のため、コンピーターと遊んでいる

例年だと2月には台湾にいるのだが、武漢からはじまった新型肺炎が世界中に蔓延したため、日本からの台湾入国が禁止となり、しかたなく自宅待機。
毎日の畝傍山散歩以外は、次回出版する3冊の書籍を8時間ほど執筆中。それと読んでいなかった書籍も読み続けている。
執筆と言っても、実際はコンピーターで打っている。
だからコンピーターと遊んでいる、というか遊んでもらっている状態が昨年末に台湾から帰ってからずっと続いている。
3冊の書籍、ほぼ執筆修了という感じだが・・・

① B5 920頁 『台湾で上映された映画の研究 1952(民国41)年~1953(民国42)年』東洋思想研究所
② A5 250頁 『戦後台湾で上映された日本映画 1945年~1953年』出版社未定
③ A5 830頁 『台湾の映画館』全20巻本の第15巻 ゆまに書房

各冊の推敲、校正もほぼ終わっている。

4、5冊目を書き始めようと思いつつ、
『台湾で逢った人々』これは、ここ30年の間、お会いした台湾の映画関係者について書いてみたいと前々から思っていて、一部しか手をつけられていなかった分。
『台湾映画史』日本時代から最近までの映画史をまとめたいと考えている。
1954年から1980年以前に関しても、もちろん資料を読んだり専門家から聞いたりはしているが、自分で詳しく研究はしていないので不安が残り、躊躇している。二十数年にわたって研究してきた日本時代から戦後初期、及び新電影時代については大丈夫だと考えているが。
だからといって1954年から1980年以前の分を数十年かけて、今までのように膨大な資料を一つ一つやっていては『台湾映画史』は永遠に書けないことになる。



toyo2012sa at 14:21|PermalinkComments(0)台湾 映画 

2020年03月13日

『台湾で上映された映画の研究 1952(民国41)年~1953(民国42)年』校正中

『台湾で上映された映画の研究 1952(民国41)年~1953(民国42)年』B5 920頁のコンピューター上での数回の校正を修了し、あとは全頁を印刷して再度校正をして完了の予定です。
新型肺炎流行のために台湾に資料調査に行けないので、『台湾で上映された日本映画』A5 250頁を執筆し、この分は校正だけとなっています。
現在は全20巻のうち、担当する第15巻目の『台湾の映画館』を執筆中。
依頼されている頁数を大幅にオーバーしそうで、資料を含めA5 900頁を超えてしまう感じです。



toyo2012sa at 18:55|PermalinkComments(0)台湾 映画 

2020年03月05日

保険治療をやめた歯科医

「歯科医を50歳で辞める」を書いていて思い出した。
人生いろいろということで、保険治療をやめた歯科医を紹介しておく。
この歯医者は、わたしと同じくらいの年齢である。六十歳前後になって保険治療をやめてしまった。
彼の父親は、有名な小説家であったが既に亡くなられている。父親からの知り合いである。
保険治療を辞めた理由は聞いていない。が、彼の性格から推察して、多くの患者を治療して忙しくするより、特定の余裕のある患者を対象にしようということだと思う。
何十年の歯科医院をしていたのだから、保険治療をやめる前にだいたいの目算が勿論あったのだろう。


toyo2012sa at 11:51|PermalinkComments(0)歯科 

「歯科医を50歳で辞める」

「歯科医を50歳で辞める」

レストランでビールを飲みながら食事しているたら、歯医者をしている彼が突然、「歯科医を50歳で辞める」と言い出した。
四十前後なので、当然まだまだ続けるばかり思っていたわたしはビックリしてしまった。
「何で50歳で辞めるの」と聞くと、
「50くらいになると細かい作業ができなくなるし、はたで見ているより力もいる。重労働ですよ」
とのこと。
わたしは心の中で、
「辞めると言ってるけど、やめるはずがない」
と思って彼の話を聞いた。
ところがである。
十年ほどたつと、本当に彼は50歳で自分の医院を閉じてしまった。
辞めてから彼に会ったときに、
「前に歯科医を辞めると聞いたとき、高収入だし、そう簡単にはやめるはずがないと確信してたんだけど、本当に辞めてしまったんやなぁ」
と言うと、
「確かに金儲けを考えて、いろいろ工夫してる歯科医も多いです。が、僕はあるていど貯金もできたし、自由に好きなことをしてこれから過ごそうと思っています」
とのこと。
確かに人生いろいろだと、彼の決断と実行力には感服した。



toyo2012sa at 11:38|PermalinkComments(0)歯科